あたしの心臓あげる


幸太幸  幸チャン、これ。と太一が差し出してきたものは、彼の心臓だった。グロテスクで歪で、だけどどくんどくんと鼓動するもの。両の手のひらの乗る程度の大きさで、ぎょっとした顔を隠せない。
「は、なに」
「そ、その……幸チャンに持っててほしいッス!」
 なんで、と言いかけて口を閉ざす。その問いは、太一にとってあまりに残酷なことに気づいたからだ。罰せられることが怖くて仕方ないくせに、責められないのも不安になるだなんて、難儀だと心の内で笑う。悲しいバカ犬。
 手のひらにおさまるそれをじっと観察して、それから太一に視線をやる。幸と目が合うことを恐れているのか、目を伏せ、睫毛が影になって肌に落ちていた。暑さだけじゃない、緊張をしているようで、じっとりと汗をかいている。話したいことがあるとバルコニーに呼び出されたかと思えば心臓を持っていてほしいとお願いをされ、それ以上太一はなにも言わない。話したいこと、じゃなくて、渡したいものがあるって言ったほうが正しいんじゃないの。きっと太一本人にだって、なにも言語化することができないんだろうと、思った。
 幸があまりに長く沈黙を守ったせいか、太一は両手を自分のほうに引き寄せ、それからたっぷり間を取ったあとに「ごめん」と言った。
「いきなり迷惑ッスよね……幸チャンの気持ちも考えないで……ほんとうごめん」
 下唇を噛む。黒目が、きょろきょろと左右に動いた。そして、ようやく幸の顔を見たかと思えば、すぐに眉根を寄せて困ったように笑った。「幸チャンには、迷惑かけてばっかだ」
 胸がきゅっと痛む。彼は、幸が受け取らなかったそれをどうするつもりだろう。大切にしてほしいと思った。でも、いつか壊してしまうような気がして、少しだけ怖くなった。
「……勝手に決めないでよね。別にいいけど、持ってても」
 そう言った瞬間、太一は目を見開き、喜びと驚きと辛さとが入り混じったような表情をした。
「でもそのうち返すから。ずっとはオレだって持たないからね」
 念を押すように言うと、小さく頷いて、「……ありがとう」という声が聞こえた。そうして手渡された太一の心臓は、幸の手の中でもどくんどくんと鼓動を続け、親指でそっと撫でるように触れる。太一自身も心なしかくすぐったそうにした。
「明日、本番でしょ。早く寝たら」
「うん。……幸チャン、ほんとうにほんとうにありがとッス!」
「はいはい」
 もう一度ありがとうと言って、太一は自室へ戻っていく。その後ろ姿に、こっちこそいつも助かってると言おうとして、結局やめた。そのかわりに、太一の心臓が傷つかなくていいように、なにか守るものを作ろうとそっと決める。太一の衣装に使った布が、まだ余っていたはずだ。それはそれはかわいらしいものを作ろうと、おもった。


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