愛妻家の食卓


臣太  病み上がりの太一のために、しゃくりしゃくりと音を立てりんごの皮を剥く。昨晩から高熱を出してうなされていた彼は、昼頃起きてきて、熱が下がったと言った。普段元気な太一が体調を崩している様は臣含め、劇団員全員を心配させた。まぶたが腫れ、まだしんどさが残ってはいるようでぼんやりとしているものの、少しは回復しているようだ。ほっとし、なにか食べるかと聞いたら「うーん、ちょっとまだ、食欲ないッス……」と太一。
「でもなにか身体に入れないと。そうだ、りんごはどうだ?」
「う、ん……りんごなら」
 冷蔵庫から出したりんごを軽く洗い、包丁をそっとあてがう。
「臣クンなら、最後まで途切れずにできそうだね」
 しゃり。小気味のいい音を立て、包丁を滑らせていく。太一の言葉に、「どうだろうな」と笑った。意識して、つい指先に力が入る。
「りんごの皮剥き大会あったら、優勝できるんじゃない?」
「はは、同率一位が多そうな大会だな」
 そして太一は、「うさぎのりんごなら妹にねだられて、やってみたことあるッス! 結構難しくて、イビツになっちゃったけど……今度臣クンが熱出したとき、したげるね!」と続けた。それは、楽しみだなあと口にしつつも、意識はりんごにあった。丁寧に、身と皮を切り離していく。
「臣クン、今日授業は?」
「ん? ああ、午後の講義も休講になってな」
 監督たちも用事があって、全員出払ってるんだと告げる。「だからこんなに静かなんスね!」平日の昼間って、なんだか変な感じ。
 普段はあれほど騒がしい寮なのに、しゃくりしゃくりという音と、二人の会話だけしか聞こえない。
「熱下がってほんとよかったッス〜」
「そうだな。でも病み上がりなんだから、今日はゆっくり休めよ」
「ううん、でも約束あるから、夕方ちょっと出るッス」
 そうかと呟く。寂しさは、うまく隠せたと思う。
 太一の言っていた、りんごの皮剥き大会について想像する。エントリーした人たちが真面目な顔をしてりんごの皮を一続きになるよう剥いていく姿は、考えたら少しおかしかった。
 優勝賞品はなんだろうか。りんごの大会だから、りんご一年分かもしれない。そういえば、うさぎりんご、体調を悪くしたときでなくても、作ってくれればいいのになあと、ようやく思考がそこにいたった──……
「あ」
「あ」
「切れちゃったね。臣クン」
 ぶつりとまな板の上に落ちた赤い皮を見て、残念でしたと穏やかに微笑む。優勝賞品なんて夢のまた夢だった。本当にほしいものは、優勝したところで得られるはずもなかったけど。大会には出場できそうにないな、とひとりごちた。
 一度切れたことによって、かえってリラックスして作業をすることができた。その後も幾度か途切れたが、最後まで皮を剥ききったりんごから芯を取り、八等分にしたものをお皿に乗せる。
「出かけるのはいいけど、無理するなよ」
「うん、ありがとッス!」
 実は今日、朝から受けるべき講義があったことは誰にも知られていない。嘘をついた。高熱を出したいと、願ってしまったけれど、それが罪だとは思わない。


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