花鳥風月


臣太  辺り一面暗闇が支配していた。ぐるりと周囲を見渡し、「……蛍、いないッスね」と太一が小さく呟く。そうだな、と口の中で同意した。かすかに川のせせらぎが聞こえる。
 そもそもの発端は、太一がアイスを所望したからだ。行為後、しっとり汗をかいた身体は水分を求めていた。キッチンへ行こうかと言ったところ、「アイスがいいッス!」と元気よく言われ、お願いとねだるその姿についつい頷いてしまった。もう日付は変わってる。莇に知られたら怒られるんだろうなと思いつつ、たまにはこんな夜があってもいいかと思い直す。
 さっそく太一は外へ出ようと、手探りで見つけたシャツを着ていた。だがよく見るとそれは臣のもので、太一には大きい。
「──あ、太一それ俺の」
「えっ? あ、本当だ! でももう着ちゃったッス」
 いたずらっぽく笑って、どうやら脱ぐ気はないらしい。構わないけれど、太一のを臣が着るわけにはいかず、わざわざ新しい部屋着を棚から出す他なかった。
 そうして適当にサンダルをつっかけ、寝ている他の住人を起こさないようにひっそりコンビニへと向かった。蒸し暑くまとわりつくような空気に、じっとり汗が肌に滲む。確かにこれはアイスを食べるには絶好の日みたいだ。誰もいないから、と繋いだ手が互いの手汗で湿る。太一の体温は、いつだって子供みたいにあたたかくて、夏には暑いくらいで、安心する。
「ねえねえ、臣クンはなにアイス食べる?」
「ううん、そうだなあ。太一は、もう決めてるのか」
「ソーダか……チョコミントか。悩んでるとこッス!」
 眉根を寄せて悩んでる姿がいじらしい。
「そしたら両方買ってはんぶんこするか」
「えっいいの?」
 ああ、と答えると「ありがとう、臣クン!」と嬉しそうに笑った。つられて臣の頬も緩む。たまにはこんな夜も悪くないと、改めて噛み締めた。
 そのままコンビニへ向かっていると、「そうだ!」と思い出したように言って、太一が本来曲がるはずのない角を曲がった。繋いだ手によって臣もそれに従う。コンビニなら、このまままっすぐ行くべきなのにどうしたのだろう。不思議に思いつつ太一のあとをついていくと、少し先を歩く太一が振り返りながら言った。
「なんかね、こっちの方に蛍の穴場スポットがあるらしいッスよ! ちょっと歩くけど、せっかくだから行ってみよ?」
 蛍独占できちゃうッス、とキラキラした顔で言われて、つい、「……楽しみだな」と言った。夜中に光る蛍がほとんどいないことは、知っていて教えなかった。

 そして今にいたる。
「……蛍、いないッスね」
 その場所は思っていたよりも遠く、徐々に街灯が少なく暗くなっていくのが印象的だった。「あんまりこっちの方来たことないな」と言うと、「ね! 俺っちも最近教えてもらったんだ」とにこやかだった。そして、今まで蛍って見たことがないことや、映画とか漫画にあるみたいにいっぱい蛍いるのかなあといったことを口にし、太一が期待に胸を膨らませている様子は手にとるようにわかった。胸がチクリと痛む。万が一の可能性を祈った。
 けれどいざ到着してみればただそこには真っ暗な道が続くばかりで、「ここらへんのはずなんだけど……」といもしない蛍の姿を探す太一の姿はかわいそうで、どこにも目当てがいないとわかると肩をがっくりと落とした。「あーあ」と言った落胆の声すら、闇に吸い込まれて、居心地の悪さを誤魔化すように臣の手ごと腕をぶんぶん前後に振り回す。
「また、来年ッスね」
「らいねん」
「うん。……来年がだめでも、その次があるッス」
 ね? と薄く口許だけで笑う。生暖かい風が二人の間を通り抜けた。太一だけが眩しい。そうだなと静かに同意した。
「死ぬまでに一回くらいは、一緒に蛍見る機会あるよな」
「……人生百年時代っていうもんね。一緒に見ようね」
 どちらからともなく繋いだ手をずるずると離して、小指だけが残った。約束をしないのに、指切りみたいで、絡ませた小指はそのままにふと夜空を見上げる。遠くの方で月がぼうっと輝いていて、それが蛍みたいだった。
 臣の視線につられたのか太一も同様に空を見て、「きれいだね」と呟く。いつまで騙されてくれるだろうか。きっと来年以降も、その機会がある限り、夜中に飛ぶ蛍を探すのだと思う。二人で蛍を見るその日まで。
「さっ、臣クン、アイス買いに行くッスー!」
「ああ、そうか。コンビニに行くんだったな」
 手をしっかりと握りなおした。元来た道を戻る。夜はまだ明けない。


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